埼玉県議会議員の田村琢実(たくみ)さん。
埼玉県議会自由民主党議員団 幹事長でもあり、様々な方面で活躍されています。
活動の幅が広いので色々注目もされていますね!
そんな田村琢実(たくみ)さんの経歴や実績、塾経営から議長、幹事長になれた理由などを調べてみました。
田村琢実県議のプロフィール
田村琢実氏は、埼玉県の県議会議員です。2024年3月現在、4期目のベテラン議員です。
選出は、南6区(さいたま市見沼区)で、企画財政委員会 委員、地方創生・行財政改革特別委員会 委員
新型コロナウイルス感染症対策特別委員会を担当しています。
オフィシャルHPなどを参考に簡単にプロフィールをまとめてみました。
・名前 田村琢実(たむら・たくみ)
琢実という漢字が難しいので、「田村たくみ」と表記するケースが多いです。
・生年月日 昭和46年(1971年)10月15日(※2024年3月現在)
・学歴 さいたま市立海老沼小学校
さいたま市立片柳中学校
埼玉県立川口青陵高校
放送大学教養学部
明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科修了
・趣味 トライアスロン ピアノ 全国一之宮巡り
・好きなもの クレヨンしんちゃん、ガンダム、エヴァンゲリオン
至って普通の議員さんですね。
好きなものがアニメ系というのがいいですね!エヴァは特に共感もてます。
ちなみに、好きなものは、ご自身のXに書かれていましたが、現在削除されて見ることができなくなっています。
田村琢実県議の経歴
埼玉県の政治界において、田村琢実氏は注目されていました。
学生時代から政治への情熱を抱き、政治学の道を歩み始めた田村氏は、政治家としての夢を追い求め、その第一歩として、衆議院議員である中山太郎氏の下で秘書として勤務し、貴重な経験を積みました。
2003年4月、田村氏はさらなる挑戦として埼玉県議会議員選挙に名乗りを上げますが、惜しくも落選。
しかし、この挫折が田村氏の決意を新たにしました。4年後の2007年、再び埼玉県議会議員選挙に挑み、見事初当選を果たします。この勝利は、田村氏にとって大きな転機となりました。
以降、田村氏は選挙ごとに支持を集め、連続当選を重ねます。
そして、2019年には、その実績とリーダーシップが認められ、第123代埼玉県議会議長に就任しました。
この役職では、県政の進展に向けて重要な役割を果たし、多くの成果を挙げています。
現在、田村琢実氏は埼玉県議会自由民主党議員団の幹事長として、政治活動において中心的な役割を担っています。
政治への深い洞察力と経験を活かし、埼玉県の発展と市民の福祉の向上に尽力しています。ということになっています。
田村琢実氏が塾経営から政治家になった理由とは?
田村琢実氏が塾経営から政治家になった理由は、ちょっとややこしいのですが、元々学生時代に政治家を目指そうと思い議員秘書を経験後、県議会選挙に出馬。ただ残念ながら落選。
落選後に、学習塾を起業、そこから政治家の道を諦める事ができず、再度チャレンジして政治家になったという事です。
では、田村琢実氏が政治家になって県議会議長、自民党県議団幹事長になれた理由を見ていきましょう!
政治家を志した理由
まずは田村琢実氏が政治家を目指した理由です。
田村氏は学生時代に汚職事件などで政治改革が叫ばれていた頃、これを変える事が出来るのは自分しかないと思ったそうです。
私が学生の時、汚職事件などで政治の状況が揺らぎ、改革が叫ばれていました。その時、現状を変えることができるのは自分しかいないと思ってしまったのです。若気の至りですね。
埼玉県議会公式HP
いやあ、素晴らしい考えですね。
学生時代にこんなことを思うとは!
学生時代は政党や政治家のボランティアに取り組み、卒業後には国会議員の下で政策について学んでいたそうです。
別のインタビュー記事では政治家を目指した理由について明確に答えています。
自分で商売するにしても何をするにしても、与えられた法律の環境下の中で仕事をするわけです。でも僕はそこじゃなくて、「作る側」に行きたいと思ったんですね。あと痛烈に行政改革の必要性を感じました。
https://neonavi.info/1215/
それで政治家を志しました。
こういう考えが根底にあるんですね。
政治家になった流れは下記のとおり
通信制の大学を卒業(放送大学教養学部)
↓
元自民党衆院議員中山太郎氏の秘書
↓
埼玉県議会議員選挙に挑戦も落選
↓
学習塾を起業
↓
再挑戦した埼玉県議会議員選挙で当選
↓
晴れて政治家に!
ちなみに、明治学院大学大学院は、県議会議員在職中です。
公共政策を学ぶ必要性を感じて、公共政策修士を取得しています。
政治家になって県議会議長、自民党県議団幹事長になれた理由
これは、田村たくみ氏の県政報告会のYouTube動画です。
この報告会でのゲストスピーカーの発言内容から県議会議長、幹事長までのぼりつめる事ができたかをひもときます。
まずは、第126代埼玉県議会議長
田村さんは 辣腕 辣腕という言葉がぴったりな人だと思うん
です物事を 判断してそして 躊躇なく決断をして次の
展開を作っていける人そういう 能力を持っている 政治家
続いて県知事
決断力行動力指導力さらには表に出なくてもしっかりと裏方としても 活躍をされているそういったところが おそらく皆さんに評価されたんだと思う
参議院議員山東昭子氏
田村県議は日頃からやっぱりリーダーシップがあるということ
仲間内と本当にみんな仲間を携えてそして一緒になって物事を考え
そして決断をし実行していくそういう素晴らしいものを持っている人物でございます
こうした発言から議長、幹事長になれた理由を推察すると下記になります。
①年上や実力者に好かれる
②ものおじしない体育会系のノリ
③辣腕でリーダーシップがある
④先輩議員の表を集めることができる
週刊文春の記事には、敏腕・体育会系のノリについて書かれていました。
田村氏は、自分に忠実な後輩を育成することに長けており、特に若手議員をキャバクラなどに招待し、その費用を負担することで親密な関係を築くようです。
こうすると県議会内で彼に反対する空気が生まれにくくなりますね。
昨年5月には団長の座に就き、それ以降、彼の支配はより強力になった模様です。
おそらく、年上も年下も自分の味方する才能に長けているのだと思われます。
こういうことから、県議会議長、幹事長までのぼりつめる事ができたのだと思われます。
まとめ
この記事では田村琢実県議のプロフィールや経歴、県議会議長、幹事長になった理由を取り上げました。
田村氏は、学生時代に政治に対して熱い思いを抱いて政治家を志し、1度の落選にもめげず、塾経営を経て初当選。
独特の人間力や、体育会系のノリで議長、幹事長まで登り詰めたのではと推察されます。
色々書かれていますが、政治家を目指していたころを思い出して頑張って欲しいですね!