久保木愛弓の生い立ちとは?幼少期から看護師になるまでの道のり

久保木愛弓の生い立ちとは?幼少期から看護師になるまでの道のり

2016年に横浜市の旧大口病院(現・横浜はじめ病院)で発生した「連続点滴中毒事件」は、多くの人々に衝撃を与えました。

この事件で3人の患者をあやめたとして、無期懲役の判決を受けた元看護師・久保木愛弓被告。

その犯行の背景には、彼女の生い立ちやこれまでの人生が深く影響しているのではないかと考えられています。

この記事では、久保木愛弓の幼少期から看護師になるまでの道のりを振り返り、事件に至るまでの彼女の軌跡を追っていきます。

目次

久保木愛弓の生い立ち 幼少期~学生時代

※イラストはイメージです

幼少期:水戸市で育った引っ込み思案な子供

久保木愛弓は1987年、福島県で生まれ、幼少期を茨城県水戸市で過ごしました。

家族構成は両親と弟の4人家族。近所の子供たちが遊んでいる様子を一歩引いて眺めるような、引っ込み思案な子供だったと言われています。

彼女は静かで目立たない存在で、学校でも特に目立った成績や友人関係を築くことはなかったようです。

この時期の久保木は、家族、とりわけ母親との関係に大きな影響を受けていたようです。

父親が仕事で海外に単身赴任していたため、母親が育児の中心を担っており、かなり過干渉だったとされています。

臨床心理士の分析によれば、母親が彼女に対して日常的に「もっと積極的に行動するべき」と叱責していたことが、久保木の自己肯定感の低さにつながった可能性が指摘されています。

時期学歴/経歴
幼少期福島県に生まれ、茨城県水戸市で育つ
小学生茨城県水戸市の小学校に通う
中学生神奈川県伊勢原市に引っ越し、中学校に通う
高校生秦野市内の県立高校に進学
看護学校横浜市内の看護学校に進学し、看護師免許を取得

学生時代:平凡な成績と母親の期待

中学校時代、家族は神奈川県伊勢原市に引っ越し、久保木は新しい環境で学校生活を送ることになりました。

成績は「中の中」で、特に目立つことはありませんでしたが、静かで従順な生徒だったようです。

この頃から母親は久保木に対して、将来の進路についても強い期待を寄せるようになります。

高校に進学した久保木は、成績も変わらず中程度でしたが、母親の勧めで看護師になる道を選びます。

当時の日本は不景気であり、「手に職を持つことが大事」と母親は強く主張していました。

久保木が看護師の道を選んだのは、母親の影響が非常に大きかったと言えるでしょう。

彼女自身は当初、看護師という職業に特別な夢や目標を抱いていたわけではありませんでした。

久保木愛弓の生い立ち 就職後

※イラストはイメージです

看護師への道:試練と苦悩

高校卒業後、久保木は看護学校に進学しました。

学科の成績は平均的でしたが、実習には大きな苦手意識を持っていたようです。

看護師としての実技の中でも特に患者対応や処置に対するプレッシャーが強く、実習でC評価が多かったことからも、現場での適応に苦労していたことが伺えます。

それでも彼女は学校を辞めることなく卒業し、2008年に看護師として横浜市内の病院に就職しました。

しかし、就職後もリハビリ業務でうまくいかず、プライベートでは出会い系サイトで男性と会い、褒められることに喜びを感じるなど、自己肯定感の低さを感じさせる行動が見られるようになりました。

職場での苦悩と精神的な疲弊

久保木愛弓の看護師としてのキャリアは、順風満帆なものではありませんでした。

最初の病院ではリハビリ業務を担当していましたが、患者やその家族から厳しく指摘されることが多く、強いストレスを感じていました。

特に、急変する患者への対応においては、家族から責められる経験が彼女にとって大きなトラウマとなりました。

この経験が元で、久保木は抑うつ状態に陥り、精神科に通院するようになります。

2015年には、一度看護師を辞めようとしますが、再び大口病院に就職することを選びます。


この病院は終末期患者が多く、延命措置を行わないことが多いという特徴があり、久保木は「自分には適している」と感じたようです。

しかし、現実は彼女が思い描いていたものとは異なり、患者が次々に亡くなる環境や、夜勤が続く過酷な労働環境に追い詰められていきました。

事件の背景にあるもの

https://twitter.com/gyoten_ntv/status/1838141255101845728

大口病院での勤務は、久保木にとってますます過酷なものになっていきました。

精神的にも肉体的にも追い詰められていた久保木は、2016年9月に3人の患者に対して点滴に消毒液を混入し、命を奪うという事件を起こしてしまいます。

犯行の動機として彼女は「自分の勤務時間外に患者が亡くなれば、遺族への説明を避けられる」という身勝手な理由を挙げていますが、これまでの精神的な疲弊が背景にあったのは明らかです。

その後の裁判で、彼女はさらに20人以上の患者に消毒液を混入させたと供述し、より多くの命が奪われた可能性が浮上しました。

判決では無期懲役が言い渡されましたが、彼女自身も「死んで償いたい」と語り、事件に対する深い後悔を表明しています。

まとめ

久保木愛弓の生い立ちから事件に至るまでの道のりを振り返ると、幼少期からの家庭環境や自己肯定感の低さ、職場でのストレスが積み重なり、最終的に悲劇的な結末に至ったことがわかります。

彼女が看護師という職業を選んだ背景には、母親の期待や現実の厳しさが影響しており、職場でのストレスと精神的な負担が彼女を追い詰めていったのです。

この事件は、個人の内面的な問題だけでなく、過酷な職場環境や精神的ケアの不備が引き起こしたものとして、医療現場の問題点も浮き彫りにしています。

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