2011年の福島第一原子力発電所事故当時、東京電力(TEPCO)の会長を務めていた勝俣恒久氏。
あの大事故の責任者のひとりとして、当時は大きな注目と厳しい批判を浴びました。
あれから10年以上の月日が流れましたが、勝俣氏の訃報が届きました。
彼は事故から現在までどのような生活を送り、どのような活動をしていたのでしょうか?
また、経済的な面である「資産状況」も気になるところです。
本記事では、そんな勝俣恒久氏について取り上げます。
勝俣恒久とは何者か?経歴と福島事故当時の背景
プロフィール
まずは、勝俣恒久氏の基本的なプロフィールをおさらいしましょう。
- 氏名:勝俣 恒久(かつまた つねひさ)
- 生年月日:1940年生まれ
- 出身校:東京大学経済学部
- 職歴:東京電力に入社し、経済企画部長、常務取締役、社長などを歴任。最終的に会長職に就任。
東京電力に長年勤務し、経営幹部として電力供給事業の発展に寄与してきた勝俣氏ですが、2011年に発生した福島第一原子力発電所事故が転機となりました。
事故当時、会長として指揮を執っていたことから、その後の一連の対応や責任問題において厳しい目が向けられることとなりました。
福島事故後の勝俣氏の歩み
福島事故を受けて、東京電力の経営体制は大きく変革を余儀なくされました。
勝俣氏は事故からおよそ1年後の2012年に会長職を辞任し、表舞台から姿を消すことになります。
その後は公の場に姿を見せることがほとんどなく、彼の「現在」についての情報は少ないものの、数年にわたって事故後の経営再建や政府・行政機関との対応において重要な役割を担い続けたとされています。
勝俣恒久の現在までの活動
勝俣恒久の引退後と裁判の軌跡
東京電力の元会長、勝俣恒久氏が2024年10月21日に84歳で亡くなりました。
勝俣氏は、2011年に発生した福島第一原発事故において指揮を執ったことで知られており、その後の裁判や訴訟を通して日本社会に大きな影響を与え続けていました。
裁判と批判に向き合う日々
2012年、福島第一原発事故の対応や賠償問題をめぐる政府との交渉の後、勝俣氏は会長職を退任しました。
退任後も、彼は福島原発事故の責任を問われ続け、裁判が長期にわたって続きました。
原発事故に対する刑事裁判
勝俣氏は、2016年に検察審査会の議決により、業務上過失致死傷罪で強制的に起訴されました。
この起訴は、福島原発事故で発生した44名の死傷者に対する責任を問うもので、勝俣氏と元副社長2人が被告となりました。
裁判では、巨大津波の発生を予見することができたかが主要な争点となりました。
2023年、東京高等裁判所は1審に続いて3人全員に無罪を言い渡し、「津波を予測することは困難だった」との判断が示されました。
しかし、検察官役の指定弁護士は最高裁に上告しました。
勝俣氏が亡くなったことで、刑事訴訟法に基づき、この刑事訴訟は取り消されることとなります。
株主代表訴訟と13兆円の賠償命令
刑事裁判と並行して、東京電力の株主が勝俣氏を含む旧経営陣に対して、福島原発事故で生じた損害についての賠償を求める民事訴訟も行われました。
2022年、東京地方裁判所は、勝俣氏を含む旧経営陣に対して13兆3000億円の賠償を命じました。
この金額は国内裁判で史上最高額とされており、判決は「適切な対策を講じていれば事故は避けられた可能性があった」と指摘しています。
勝俣氏は、この判決に不服を申し立て、控訴中でしたが、引退後も原発事故の責任を追及され続ける形となりました。
津波対策と原発事故の予見性
勝俣氏の裁判で大きな議論となったのは、2002年に発表された「長期評価」についての対応です。
この評価では、福島第一原発が津波に襲われる可能性が示されていましたが、勝俣氏は「長期評価」や津波対策の必要性について知らなかったと主張していました。
2016年の刑事裁判では、2009年に開催された「御前会議」においても津波対策に関する報告が行われていましたが、勝俣氏は「社内の原子力部門で安全対策がしっかりと進んでいると考えていた」と述べています。
この証言は、津波が起こり得るという「予見可能性」があったかどうかについての争点となり、最終的に無罪の判断が下されました。
勝俣恒久の資産状況は?
- 東京電力での収入と役員報酬
会長職を務めていた当時は、多額の役員報酬を受け取っていた可能性が高いです。
2010年代の上場企業役員の年収は数千万円~1億円規模が一般的であり、勝俣氏もそれに近い報酬を得ていたと推測されます。 - 福島事故後の変化
福島事故以降、東京電力やその関係者には賠償や補償の圧力が強まりました。
勝俣氏個人の資産にも影響が及んでいる可能性がありますが、裁判や責任追及のプロセスが彼の個人資産に直接の影響を与えたかについては明確な情報がありません。
ただし、事故によって得た報酬の返還や資産縮小の要請がなされることは過去のケースでも見られるため、その影響はある程度考えられます。 - セカンドキャリアに伴う収入
アドバイザーや経済団体の会員としての活動をしている場合でも、第一線での活動から離れているため、現在の収入は当時より少なくなっていると見られます。
長年の報酬や資産運用によって生活は安定しているものの、贅沢な生活をしていたかどうかは疑問です。
まとめ
福島第一原発事故で会長としての厳しい立場に置かれた勝俣恒久氏。
その後の人生は、いかにして企業の第一線を去り、社会の視線から少し離れたところで新たな生活を築いていくかが焦点となっていました。
経済界での役割や東京電力での経験は彼の資産や生活に影響を与えつつも、引退後の第二の人生では穏やかな生活を送っていた可能性が高いです。
勝俣氏のように、ある意味で「象徴的な存在」となった人物がその後どのような道を歩んでいるのかは、同様に役職を退いた元経営者や社会の視線に晒された人物にとっても参考になるかもしれません。